第74回 金沢百万石まつり「赤母衣衆」

 金沢 雨、きょうは午前中を中心に雨が降りやすく、午後には曇りがちで、きのうよりも少し気温が高く、蒸し暑さが続きます。

 第74回 金沢百万石まつり行ってきました。今年は、「超望遠ズームレンズ」でいろいろ撮りました。赤母衣衆も演武が一番好きですが、キリコ撮影に夢中になり、撮れませんでした。来年は必ず撮ります(笑)

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 「母衣(ほろ)」とは、矢や石を防ぐための武具で、甲冑の補助的な役割を果たしました。戦国時代、母衣を背負うことを許された武士は、特に優秀な者や情報伝達を担う重要な使番であり、エリートの証とされていました。織田信長には赤と黒の母衣衆がおり、前田利家も信長に仕えていた時代、赤母衣衆の筆頭として活躍したとされています。百万石まつりの赤母衣衆は、この前田利家が率いた精鋭部隊を再現しています。

 石川県金沢市で毎年6月の第1土曜日を含む金・土・日の3日間で開催される、金沢市最大のイベントです。加賀藩の礎を築いた藩祖・前田利家公が天正11年(1583年)に金沢城に入城した偉業を偲んで開催されます。豪華絢爛な「百万石行列」をメインに、400年以上にわたりこの地に受け継がれてきた伝統文化が賑やかに繰り広げられる、勇壮かつ華麗な祭りです。

 金沢百万石まつりのルーツは、尾山神社での「封国祭」に合わせて大正12年から昭和20年まで行われた「金沢市祭」にあります。終戦後は「尾山まつり」として開催され、現在の「金沢百万石まつり」としては昭和27年に金沢市と金沢商工会議所が中心となって開催した「商工まつり」が第1回目となります。

 赤い母衣が特徴は、その名の通り、背中に膨らんだ赤い母衣を背負った姿が特徴的です。この母衣は、兜や鎧の背に幅広の絹布をつけて風で膨らませるもので、戦場では目立つ存在でした。 馬に乗った武者たちが、市街地を練り歩きます。時には馬が立ち止まり、一斉に走り出す場面や、「エイ、エイ、オー」という鬨(とき)の声が上がるなど、迫力あるパフォーマンスが繰り広げられます。

【撮影場所 金沢市:2025年06月07日 DMC-GX8】

つづく