井関諏訪神社

神奈川 曇り、今日は車で移動し東京出張です。仕事は何とか無事終了しました(笑)

続くもので、記事整理中「おかえり祭り」の帰り道に遭遇しました。今回は前回と違い逆立ちしてるほうが口が開いており、正常配置です。


獅子・狛犬は向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じ、古くは角を持っていたそうで、「逆さ獅子」とか「逆さ狛犬」と呼ばれる「加賀逆立ち狛犬」は、通常と逆で右側が口を閉じ、逆立ちしています。
建立:大正8年 石工:不明 正常配置型

【撮影場所 白山市井関町 撮影日:2016年05月22日 E-PL6】

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【石川県神社庁ホームページ引用】
御祭神 武御名方神
由緒 当社は第六十三代冷泉天皇の安和年間、紀元一六二八年、西暦968年、三河の国、吉良荘一色邑の出身一色主膳守茂四郎なる者が、信洲諏訪に赴き、諏訪大明神様の分霊を請ひ奉り有難くも是を御受戴き、諸国武芸行道中加賀に来り、故有りて手取新邑に居を構え、農桑の業に勤めて、自家邸宅内に分霊を祀り居たり。(現在の蝶屋小学校西南、俗名「樋掛・馬場の下」方面、住宅団地となる)加越能古跡考に、一色主膳守茂四郎の手取新村に来りしは、八〇〇年ばかり前の事だと云う、此処に於いて土着の人々と力を併せ、社殿を造営鎮斎し、以て挙村の氏神様となせり、と社記に見えたり。其後第八十三代土御門天皇の承元元年紀元一八六七年、西暦一二〇七年、手取川大洪水の際(時恰も親鸞聖人様、越後之国へ流罪之刑に処され、当地を御通過の年)、祀堂が流失せるにより、井関の地に移り社殿を造営し、以後改築等数回なるも年度等不詳、明治九年、西暦一八七六年八月、現在地に社殿を造営し、井関諏訪神社と命名する。