石垣のトンネル

金沢 雨、午後から冷たい雨で、帰宅時は寒かったです。桜の開花も一休みで、この後いっきに開花が進みそうな予感がします。

明治から昭和にかけて、金沢城は旧陸軍の所管となり、軍用施設が設けられました。このトンネルは、旧陸軍によって弾薬庫が建設された明治から大正期に作られたものとされています。


【撮影場所 金沢城公園 撮影日:2013年03月17日 LUMIX DMC-TZ30】


金沢城公園ホームページ引用】
 金沢城ほど多種多様の石垣が存在する城は全国に例がありません。城の外まわりには野趣に富む高石垣を配し、藩主の住む御殿や庭園まわりには芸術的ともいえるデザイン感覚にあふれる石垣群(「数寄の石垣」)が築かれました。このように場所により石垣様式を使い分けたことと、江戸時代を通じて、火災や地震被害に対する修築が繰り返されたこととがその理由です。石垣には鬼門封じや「陰陽石」、「亀甲石」といった陰陽五行思想の影響もみられます。金沢城石垣の来歴や秘伝技術については、加賀藩の穴生が残した「後藤家文書」によって知ることができます。