赤母衣衆

金沢 晴れ、飲み会で遅くなりました。

母衣は矢を防ぐためのもので、母衣衆は馬廻の中でも精鋭の武士が選ばれました。織田信長には赤と黒の母衣衆がおり、利家公は信長に仕えていた時代、赤母衣衆の筆頭としても活躍しました。今回は京都市の岸本乗馬センターの10人が赤母衣衆(あかほろしゅう)に扮し、行列の最後尾を締められました。


【撮影場所 百万石通り 撮影日:2013年06月01日 PENTAX K-x
ウィキペディア引用】織田信長が馬廻から選抜して使番として用いた黒母衣衆・赤母衣衆や、豊臣秀吉の黄母衣衆などが有名であり、江戸時代の諸藩の中にも、藤堂家、仙台伊達家など母衣衆を置く藩があった。
なお、信長の母衣衆は地位としては赤母衣衆と黒母衣衆に格差はないものの、『利家記』には戸田勝成が前田利家に「赤母衣は少下、おぼへもうすきやうに申候」と語っており、メンバー的にも黒母衣衆がやや年上であったと考えられる。

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